■2004年5月の日記

5月31日 

■先週もチャレンジした「ヘドウィグアンドアングリーインチ」の当日券。5時30分の時点で定員を超えていたら抽選なのだそうだ。で、5時30分キッカリにエレベータで上がっていったら25名あまりのお客に対し、当日券はたったの5枚。
■自慢じゃないがこういう抽選にはからきし弱い詩森である。絶対当らないに決まっていると、気楽な気持ちで並んでいた。
■そしたらなんと当ってしまった。ひゃー。
■嬉しいよ。それは嬉しかったけど、問題はキャンセル待ちにさえ当らなかった達平くんである。なんかワケもわからないうちに抽選券を回収された達平くんはエレベータに乗せられ強制的に下に行ってしまったのであった。
■ひとりになると途端に心細い気持ちになり、「もし見たいならゆずってもいいよ」とメール。すると返信が来て「またチャレンジするからいいです」とニベもない。そうとう悔しかったに違いない。せっかく5倍の確率にあたったというのにトホホな気持ちで当日券発売の列に並ぶ。それにしても抽選してからさらに30分並ぶというシステムは無駄でしかない気がするがどうなのだろうか。
■しばらくすると気持ちが切り替わったらしい達平くんから電話が来てこれから渋谷で「ビックフィッシュ」を見ることにしたので終わったら待ち合わせて打ち合わせをしましょうということに。
■そんなこんなで見た「ヘドウィグアンドアングリーインチ」ではあったが、これはやはりとてもよかった。始まった瞬間に、「ああこの舞台に来てよかった」と思う舞台だった。三上博史は正真正銘のプロだ。楽曲も素晴らしく、歌もびっくりするほど上手く、体も作りこんであり(ドラアグの時はグラマラスで、それを脱ぎ去るとかわいそうなくらい華奢)、その存在自体が切なく美しかった。
■でも見られなかった達平くんのことを思うと、心からは楽しめなかったのは残念だ。(心から楽しめなかった割には踊り、手拍子し、ヒューヒュー叫び、最後はスタンディング・オベーションまでした詩森である。最後尾、いちばん端の補助席、しかもひとりきりにも関わらず、だ)。なので、これからは見たい公演のチケットはちゃんと前売りで取ろうと決心する。でもなー私の場合、評判聞いてからとつぜん見たくなるんだよなー。
■そんなこんなで終演後、打ち合わせ。主に風琴文庫の件を詰める。2つのスペースでお芝居を同時多発的にやるんだけど、キャパが違うので、どうにもタイムテーブルを組むのがタイヘンでさ。だけど自由が丘なんて場所まで来ていただくのだもの、おもしろい企画にしなければね。
■どーでもいいことだが、ひさしぶりに美容院に行き、髪を切り、パーマをかけた。この春流行りのフェミニンなかんじのセミロングパーマを目指したが、どちらかというとポーラXとかオノヨーコみたいなかんじになった。

5月30日 

■はじまった瞬間に「これはまずい」、と思った。こんなことを思うのもひさしぶりだ。日曜日の原宿。明るく人に溢れたラフォーレの最上階。原作は圧倒的な若者の支持を受けるマンガ「ヒミズ」。劇団の名前はOi-SCALE。
■あとは2時間15分。ただ時間が過ぎ去るのを待つばかり。早く終わってほしい。そればかりを思って観ていた。
■おそらく劇団にとっては勝負をかけた作品であったことだろう。こうもしたい、ああもやりたいという思いが、選んだ空間からもキャスティングからも窺い知ることができる。その心意気は素晴らしい。
■しかし結果としての作品がここまで稚拙ではなんともならない。テキストも空間の使い方も照明も、そして俳優の演技も。わたし自身とても愛する原作のためにも、果敢にチャレンジした劇団のためにも残念だと思う。大好きな俳優がたくさんでていた。これだけの俳優が出ているのだから、なんとかなるかと思っていた。でもそういうことではないんだ。やっぱり。
■それにしても、観劇のあと打合せのために入ったカフェで、観劇の内容にショックを受けた達平くんが「今日は打ち合わせはしません!」と言い放ったのにはビックリした。それから飲み物が出てくるくらいまで達平くんは不機嫌に押し黙ったまま、口も聞いてくれなかった。別にわたしが無理やり誘ったワケじゃないのに。そして結局打ち合わせは明日に順延され、KAKUTAの受付をするために原宿の雑踏にフラフラと消えていった達平くんなのであった。
■夜はカツオのタタキを作る。すでに炙ってあるのは固くなっていてポソポソするのでやはりこれは生で買って炙ったほうが美味しいと思う。レタスを千切りにし、茗荷やシソや小口ネギをたっぷりかけて、ポンズとオリーブオイル。ワカメの炒め物を添えていただきましたわ。

5月29日 

■ひさしぶりに洋服を買う。門前仲町のリサイクルショップ以外で洋服を買うのはいつぶりか思い出せない。これで来週髪を切れば、こんなわたしにも夏はやってくるのだろうか。
■昨日作成した「覚え書」はあんなに見直したのにも関わらず、いちばん肝心のところが間違っていた。こんなわたしにもほんとうに夏はやってきてくれるのだろうか。
■まあ、しかし大の夏嫌いだから、夏なんてこなくてもいいんだけどさ。

5月28日 

■猛然と仕事をする。
■まずは人から頼まれていたとある件に関する「覚え書」を作成する。印鑑を交わして保存するという公的な色合いのあるものなので慎重に。A41枚だけど結構時間がかかる。
■そして、6月に行うワークショップ・オーディションのプランニング。全8回分。WS研で何やってたんですか、と劇団員に言われないよう、真剣に作る。
■更にはここのところずーっと取り組んでいたとある芝居の演出プランを詰める。詰まらない。しかし詰める。やりたいことはハッキリしているんだけど、そのための方法が詰まらない。「いいのかな。これで。」と思いつつ書く。いつまで書いても気に入らないので、とりあえず一回人に渡す。まあゆっくりブラッシュアップしていこう。
■その合間に怒涛のように本を読んでいる。これは来週行われるWS研の合宿で、ちょっとしたレクチャーをやることになったための資料である。それも演劇ではなくて知的障碍の方に関するレクチャー。今年のWS研のメインコンテンツは障碍ある方たちや老人とのWSなので、多少なり経験と知識のある詩森がレクチャーをするということになったのだ。このほか、合宿では多数のWSやレクチャーが行われ、演劇人寺子屋塾といった趣きである。そういったものを夢みていた私としては、WS研メンバーの多彩な才能に感嘆しつつ合宿を楽しみにしている。そんなワケで自分の担当分野の予習・復習に余念がない詩森なのであるが、福祉関係の人間でも教育関係の人間でもないにも関わらず、私のこの分野に関する知識はちょっとしたものだということを再確認した。そりゃそうだよな。ヒマさえあれば、ホームページ検索したり、本読んだりしてるんだもんな。こう書くと自慢のように聞こえるだろうし、実際自慢でもあるのだが、この学習意欲は実は別のことに振り分けるべきなのではないかとも思わないでもない。そうしていたらもう少し演劇人としてなんとかなっているのではないか。
■思えばこの手のいつ役にたつのかわからない得意分野は数多く存在している。セクシャリティ・ジェンダーはまあ劇作に必要な知識としても、かつては競馬評論家と言われるほど血統に精通していたし(現在はやってないのでスッカリわからない)、控え目に言っても恐竜に関する知識はちょっとしたものだと言わざる得ない。しかし、たとえば戯曲講座でレクチャーをやってくれ、と言われたら固辞するしかないだろう。戯曲について何も語るべきことのない劇作家。そんなことでこの先やっていけるのだろうか。いやダメに違いない。なんとかしなければ。しかし今日だけで学習障害や自閉症に関する本を3冊も読んでしまった。既知のことが多いので、進みが速いというのもあるが単純に止まらないのだ。
■夜、今日の成果を各方面にメール等で送信。達平くんと電話でワークショップその他に関する打合せと相談。ワークショップの応募者が定員をはるかにオーバーするという不測の事態に慌て、風琴文庫のタイムテーブルに四苦八苦。ああ、5月も終わっていくなあ。

5月27日 

■昼、近所のシネマ109木場でティム・バートンの「ビック・フィッシュ」をやっていることに気付き、ノコノコと出かける。平日昼間。場所は木場。客はわずかに10名程度。
■ティム・バートンだからそりゃ好みだろうと思ってた。わたしにとって外れがほとんどないというB級映画界永遠のトップランナーだもの。にも関わらず異常なほどにヤラレタ。感動しすぎてタイヘンなことになった。だいいちB級でもカルトでもなかった。上質の、ほんとに上質のエンタティメントだった。持ち味はひとつも壊すことなく、なんとうつくしい映画を作り上げたんだ。ティム・バートン。猿の惑星のヒロインとの間に子供ができたのがそんなに良かったのだろうか。まあそんなコトはどうでもよくて、とにかく感動したのだよ。なぜか木場で。どうしてか木場で。
■でもってその勢いをかって上野にフェルメール観に行ったらちょうど閉館時間だった。なんか微妙にショック。今日は何もかもうまくいくような気がしてたら違ってた。まあいいや、どうせフェルメールは1枚しか来てないだろうし、今回のコレクションはウィーンの美術史美術館のものだから殆ど現地で見てるしな、と負け惜しみを口走りつつ(でも「画家のアトリエ」はやっぱり観たかったよ。だってウィーンに行ったとき貸し出しされててなかったんだもん)、2日連続で浅草へ。KAKUTA@花やしき。
■公演の内容そのもの以上に、これを企画しやってのけるカンパニーとしての底力に感じ入った。芝居の内容も真っ直ぐで好感をもてるものだった。初めての野外劇。大空間。創り手、演出家としての目でみちゃうといろいろそれは足りないところもあるけれど、がんばれ。がんばれ。と思ったよ。そして実際がんばっててうつくしかったよ。
■いっしょに行った愛ちゃんも偶然来ていた仁さんも帰るというので今日は帰ろうと思っていたら、辺境に出てくれた足立智充くんのホームグラウンド、「オールツーステップスクール」の主宰の笠木泉さんに声を掛けていただき嬉しくなって残ってしまう。ひとりで飲み会参加。なんかKAKUTAの大ファンみたいだ。もっともおくむらさんもいたし、受付手伝ってた達平くんもいたから、そこまでイタイ人ではなかったが。初めてお話ししたけど、笠木さんはまっすぐでステキな人だった。昨日といいなんか出会いの町だな。浅草。
■そんなこんなでいろいろあって、達平くんに「詩森さん、酔っ払ってるんですか!」と叱られるほどダメダメなカンジで帰宅(もちろんノンアルコール)。ゴキゲン止まらず「ビック・フィッシュ」が良かったら見てくれと関係各位にメールまでする。
■今日はそのほか図書館にもいき、つまりは詩森復活の一日。そんなこんなで今は劇団関係の仕事などしつつ夜も更けていくわけです。図書館と言えば、これからは読んだ本のタイトルは積極的に書いていくことにしました。恥ずかしくなんかないやい。そんな木曜日。

5月26日 

■まずは駒場アゴラで青年団の能島さんが出る「おやすまなさい」。たぶんこのシチュエーションはこのバージョンがいちばん決まりそうな気がするのだが、主宰の前田さんと能島さんの取り合わせがあまりにお似合いすぎて、ちょっと恥ずかしかった。観ながらクネクネしちゃったよ。そして劇場から出たら山田さんと小里くんがいて、それがまたよりにもよって五反田団だったので、なんか、秘密を覗かれたような気持ちになりそれもなんだか恥ずかしかった。
■それから急いで地下鉄に乗り、浅草へ。山の手事情社の「道成寺」。
■これがものすごくおもしろかった。スペクタクルなエンタティメント。テキストの構成にやや不満がないでもないが、女がみんなキレイでさ。ドキドキしたよ。ここ1年くらいで山の手さんの身体性がググッと上がった気がする。カンパニーとして研鑽している成果がはっきりとわかる。いっしょに行った風琴工房俳優陣が反省しきりだったことだよ。そしてなんと言っても倉品さん。カッコよかった。役がすごく合ってた。淳子さんに関してはどうも身贔屓っぽくて褒めづらいのだが、まあいいや。褒めちゃえ。身贔屓で目が曇っているのでは、と思って目を擦ってしまうくらい美しかったわ。必見です。3匹の蛇の表現だけでも出色。ぜひ。
■吾妻橋の上で声を掛けてくださった制作者にして、インターネットでものすごい数の観劇レビューを書いてらっしゃるSさん(と書くとピンと来る方もいるかも)を、かえって失礼かしらと思ったが食事にお誘い。快諾してくださり、椎葉、松岡とともに食事。殆ど顔見知り程度のわたしたちと気さくに話してくださり、また演劇に対するピュアな情熱が気持ちのよい方で刺激を受けましたわ。

5月25日 

■来年度以降の活動に関しての秘密任務。がんばりどころなのかもしれない。しかし、いつも頑張りどころと思っているのも問題だよな。創立11年目にして無名という現状を思うと、すでに終わってる、とも言えるもんな。まあ華やかにスポットがあたるタイプの劇団というものでもなし、ノンビリコツコツやっていきますよ。
■秘密任務のあと、調べておいたパスタ屋へ。「インターネットで調べたんだよ」と自慢したら達平くんに呆れられたが、一口食べたらおとなしくなった。美味しかったらしい。麺の固さといいソースの麺への絡まり方といい、そして900円というお値段も素晴らしかったわ。大満足。
■ワークショップ・オーディション、締め切り直前、ドドドッと申し込みが。微妙に全員は受け入れできないかもね、という人数に。どうしたものか。
■今日の達平くん語録。まずはパスタの注文をする際、達平くんと詩森の注文がかぶり、それを諦めて言い放った一言。「ぜったい変えたらダメだよ。変えたら怒るよ。」。そして、道を歩いていて詩森が何気なく言った一言に、「詩森さん、バカっぽいですよ。」。なぜこのような若造にこんなコトやあんなコトを言われなければならないのだろう。人生をやりなおしたくなったよ。三茶で。なぜか三茶で。

5月24日 

■ワークショップ研のミーティング。合宿を間近に控えギッシリと話し合い。
■ミーティング終了後、達平くんととある野望に向けてチャレンジするが敢え無く敗退。世の中ままならないものだ。
■仕方ないので打ち合わせしたら、出るわ出るわ、仕事がたくさん。やらなきゃ。決めなきゃ。交渉しなきゃ。タイヘンだよう。
■今回の公演が終わって何が困るって、いい俳優としか仕事したくなくなっちゃったことだ。こんな贅沢を覚えてしまったら、弱小カンパニーの主宰としてはどのように生きていけばいいものでしょうか。

5月23日 

■朝からワークショップ研の一環として障碍者と健常者向けのボイスのWSへ。いろいろあまりいい意味ではなく衝撃を受ける。それでも脳性小児マヒの人の体に触れることができたのは、とてもいい体験だった。障碍というのは実際に触れてみないと解らないことが多い。そして触れてしまえば怖くないということがわかる。けれどとてもデリケートで注意が必要だということも解る。
■夜は劇団の反省会。制作面が中心だったが、カンパニーの、主に俳優として演出としての力不足についていろいろ話す。反省ばっかりしていてもどうしようもないので、来年の秋くらいまでにもう少し実力をつけていきたいね、と話。
■今回の作品は、風琴工房としてのオリジナリティという点で物足りなさをおっしゃるお客さまはいたけれど、概ねのところで好評だったのは間違いない。今回の作品が好評だったということの理由も分析する。そしてここに留まっていたくない、わたしたちが作りたい作品は「辺境」が最終形ではきっとないね、と話す。
■いずれ精度の高い舞台を作らなければならないのだが、今回に関して言うとある種の偶然のようなもので作品が高レベルに仕上がっただけだ、というのが劇団内での共通の認識である。それじゃやっぱりダメなんだよね。
■そのほか夢のようなお話しから比較的具体的な陰謀まで。いろいろ話して夜も更ける。さあそろそろ次へと向けて始動致しますよ。

5月22日 

■アゴラで松井くんの「通過」。松井くんは前に風琴工房にいた夏芽ちゃんの大学の同窓で、あまり親しいワケではないけど、どこかしら近しい存在の人。その松井くんがいっしょに劇作家協会の新人賞を受賞したというのもなにかの縁というものか。「通過」はその受賞作品。
■イヤなかんじのはなし、とパンフにも書いてあったし、実際そういう印象を抱く人も多いだろう。露悪的。
■でもわたしには現代のお伽話しのように感じられた。リアリズムというより、ファンタジーだなあって。というか、これをリアリズムなんて言ったらダメだよ。だっていないもん。あんな人たち。いや。いなくてもリアリズムと言っていいと思うんだけど、ある身体感覚を肥大させたというかんじさえもなかったからね。その「通過」をなぜファンタジーと呼ぶかというと、作家の欲望が過剰に舞台を覆っていて、すごく正直な舞台だ、と思ったからなんだよね。隠しているようで隠してない。健やかなかんじさえした。ペニスバンド回りのことは戯曲を読んだとき、「これ実際演じる時、どーすんのかなー」と思っていたけど、意外にあっさり上品に見せていて、実はちょっと物足りなかった。あのあたりから、もっと吐きそうな気分で見たかったかも。趣味の問題だけ言えば。もっともあのくらいでも男優さんにはそうとうキツイだろうとは思うけど。
■大好きとか面白かったというのとはちょっと違うけど、その妄想の身勝手さが群を抜いているという一点で、可能性のようなものを感じたのでした。「通過」。とまあ、極私的な感想ですね。

5月21日 

■一日中寝ていた。深い深い疲れ。みんなもう働いているだろうに。そしてわたしも動きださなければならないのだろうに。
■家の近所の台湾小皿料理の店とやらで食事。すごく混んでいて、バラックっぽくて、ほんとに台湾にいるみたいな気分。台湾行ったことないけど。チャーハンにはミックスベジタブルが入っているという許しがたい具の在りようにも関わらず、とても美味しくて驚く。家の近所に美味しい中華屋。大切です。

5月20日 

■甲賀くんが荷返しに来てくれて公演もついに終わり。
■疲れていないと思っていたけど、内蔵の深いところまで疲れきっていた。返事を出さなければいけないメールもたくさんあるし、お礼のメールも出さなきゃいけないけど、公演のために立ち上げたメーリングリストに「おつかれさまでした」とメールを出すのが精一杯。文章を書くのも体力なんだなあ。
■無為に過ごすのはしかし楽しい。明日くらいまではこうしていたい。
■無為のお供は黒人詩人エメ・セゼールの「帰郷ノート」。併録の「植民地主義論」というタイトルに引かれて借りたのだが、ネグリチュード思想の始祖となった詩人だという。ここらへんからクレオール主義、そしてポストコロニアリズムあたりへと流れていくのだと乏しい理解。現代思想の最先端にいつか詩森も辿りつけるのだろうか?辿りつけそうな気はぜんぜんしないし、実はそんなに興味もないけど、まあノロノロとね。

5月19日 

■最終日。動員目標には及ばなかったけど、後半に連れお客さまが増え、ここ2年ほどの最高記録。いろんな方がいろんなところで宣伝してくれて、これが口コミというものかと。
■雰囲気のよい座組みだったので、打上げも楽しく、時間がアッという間。皆様いろいろありがとうございました。
■劇作、演出いろいろなコトはひとりでこれからゆっくり考えていきます。誰にもナイショでね。
■最後の行き帰りは図書館で借り出したまま手付かずにしていた鷺沢萌(ホントは月がふたつ)の作品を読んでいた。そういう読み方はいけないと思いつつ、そんなことにもあんなことにも気づかなければ死ななくてもすんだのかもしれないと、どこを読んでもかわいそうでならなかった。

5月18日 

■チョムスキー読み終わった。昨日の日記を読み返して驚いたのだが、広瀬隆の「危険な話」を読んだのはかれこれ20年近く前のことだ。それを今日読んでいるチョムスキーと並列で並べてしまうあたりが、もうすでによくわからない。チョムスキーは広瀬隆的なセンセーショナリズムにはとても批判的な人なので並べられてさぞ心外だろうとも思う。でもメディアによるコントロールについて激しく糾弾しているところが似ていたし、なによりタフなかんじがね。広瀬隆のそれは非常に具体的で詳細だったのでしばらくは洗脳されっぱなしだった記憶がある。そしてチョムスキーはなんというか、鉄人のような人であった。書いてあることは比較的マトモでふつうのことであるように思うのだが、「知識人のなかでこんなことを指摘している人は誰もいない」と繰り返し書かれているのを読むと、アメリカはそこまで権力構造に飲み込まれ操作されている国なのか、と思ったりもする。少なくとも、チョムスキーが指摘しているくらいのことなら、日本でさえ、インターネットレベルならいくらでも書かれている。確かにマイノリティだが、皆無ということではない。大東亜戦争が侵略戦争であり、ヒロヒトには戦争責任がある、という認識にいたっては別に少数派というほどのことでもないだろう(多数派でもないと思うが少なくとも知識人、という括りにおいては)。しかしチョムスキーによるとアメリカ国内ではイラク戦争が侵略戦争である、という認識はほとんど皆無なのだそうだ。ホントなんだろうか。まあ、ホントなのかもしれないなー。そしてチョムスキーという人は自分のなかの欺瞞や矛盾に苦しむコトってないんだろうか、とこれは非常に個人的な興味。彼にとって「正しいこと」から一歩もひかない。常にその場所から発言しつづけている。その痩躯の科学者のような容貌もあいまってものすごく興味が湧く。なんだかんだと言ってまた続けて読むのかも。チョムスキー。
■今日も予約よりずっとたくさんの方に来ていただいた。終わったその場で明日の予約をしてくださった方もいた。
■褒めていただくことはもちろん嬉しい。見て欲しいと心から思う作品を作れたことは幸福なことだ。しかし、ただただ嬉しいというのとも違う。褒め言葉に対し、すぐに懐疑的になってしまう性格の所以もある。そのことは公演が終わったらまたゆっくり考えよう。とにかく明日いちにち、舞台を守りきりたい。守らねば、と思う。

5月17日 

■ノーム・チョムスキーという人がいる。マサチューセッツ工科大学の教授で言語学者。そして気骨の反戦知識人。この人の本をここしばらく読んでいるのだが、とてもわかりやすい文章なのにどうにも進まない。劇場からの行き帰り、本を出してはみるのだが、文字を目で追ううちに胸が苦しくなって、ボーッとしてしまうのだ。媚というのが一切ない人で、その論旨は明快だし、わたしが考えていることや考えが至らないことに訴えかけてくるところがたくさんある。概ね賛同。しかしね。どうも読み続けられない。なんというか、そう一言で言うとマッチョな感じなんだよね。なにかを確信している。たぶん劇場にいる、という私の精神状況とその言説の強度がそぐわないんだろう。などと思いつつ、かと言ってほかの、たとえば軽い小説とか読む気にもならず、今日もその本を鞄に入れる。早く読み終わらないかなあ。本読んでてこんなオルグされている気分になるのは広瀬隆の「危険な話」以来だなあ。若い頃ならすっかりやられてチョムスキー親派になっていたかも。今はけっこう用心しいしい読んでいる。だから時間がかかるのか?それにしても彼が生み出したという生成変形文法理論っていったいなんだ。
■オルグと言えば最近マルクスのインタビューを読んだのですよ。マルクスっていうのはあの「資本論」のマルクスなんだけど、すごかったよ。あたりまえのことだけど、運動家だったんだ・・・。バリバリだったよ。オルグってたよ。なんかね、もうちょっと青白いインテリっぽい人を想像してたけど、違ってた。すごいタフな言説だったなあ。短いインタビューだったけど、読み終わった時、けっこうな疲労感があった。
■今日は予約がとても少なかったにも関わらず、結果的にはお客さまがたくさん来てくれた。わたしにとって大切なひとが多かった気がする。しかし、芝居はノッケから大きくスベル。この座組ならぜったいこういうエアポケットみたいなことにはなるまい、という、まさにその恐怖のいちにち。舞台は魔物が住んでいるなあ。

5月16日 

■14日。初ソワレのみの日。稽古する。
■15日。大きな演出替え2箇所。本番直前、照明の木藤さんにスポットを吊り変えてもらうほどの。
■そして16日。制作面で痛恨のミスいくつか。客席係なのに対応が遅れた。もっとはやく受付スタッフと連携を取りなんとかすべきだった。お客さまと俳優の両方に対し、責任を感じる。楽屋を回り謝る。それにも関わらず、客席ではあちこちから鼻をすする音が聞こえる。流行っている風邪のせいではないことを、客席にいるわたしは知っている。これはおそらく脚本の手柄ではない。俳優の「本気」に客席が巻き込まれているのだと思う。受付開始直前、舞台はいちばん熱気に溢れている。俳優たちの声が、いろいろな場面が、同時多発的にくりひろげられ、モニターから零れ落ちてくる。
■今日の公演で、通しを17回見たことになる。なのに飽きない。こんなことはそうそうあることではない。毎日見ていても楽しみな箇所がある。そして日々変わり動いている。あと3回。ちょっとどうかと思うくらい熱烈なメールをまだ来ていない友人・知人に送る。見て欲しい。ぜったいに見て欲しい。俳優たちを、見に来て欲しい。歩みを止めぬよう最後まで歩き続けるので、みなさまぜひいらしてください。

5月12日 

■初日。
■昨日の場あたりは照明が火を噴いたり、そのほかいろいろなハプニングがあった。でもなんとか無事終わって、今日は順調。ゲネやってダメだしやって、本番。
■ワークショップ研の仲間がたくさん来てくれる。
■芝居はちょっと浮ついていたけど、熱気があっていい初日だった。お客さまに助けられた。真剣に見てくれる空気がはじめからあった。終演後、すごい拍手。こんな拍手を貰ったのもいつぶりだろうか。
■初日があけて、そして今日はいい芝居になったので、初日乾杯はいつになく華やいだムード。みんな嬉しそうだ。
■あとは客足だけが心配。いつもに比べれば予約を入れていただいているけれど、もう一息がんばりたい。少しでも多くの人に見てもらいたい。

5月10日 

■さあ、行くぞ、と劇場入り。
■今日は客演の方は休みなのに、児玉さんと杉山さんが積み卸しに来てくれる。杉山さんは美術さんに混じってしっかりタタキまでやってくれた。足立くんも昼過ぎに来て印刷を手伝ってくれる。有難いし、助けになる。この人たちが大好きだ。と、書くと来なかった小高さんと増田くんを責めているみたいなのだが、そういうことではない。休めるときには休むのもプロの俳優だ。わたしはそのことを支持する。
■長田嬢の美術はいいだろうなあ、と模型をみた時から思っていたけど、実際立ち上がるともっとよかった。わたしが選んだ出道具もシックリいっていてホッとする。そこに関口さんの明かりが入り、タクヘイさんが寺田くんの音楽をかけると、世界にひとつしかない「津田理髪店」が立ち上がってくる。ああ。どきどきする。こんな楽しみな本番、いつぶりだろうか。

5月9日 

■最終稽古。
■通しは昨日のほうが良かったけど、芝居自体は安定していて、もう稽古場でやるべきことはぜんぶやった、という気持ち。お客さまの眼差しがあとは最後の仕上げだろう。
■優秀な舞台監督まっちゃんから「明日は俳優はいりません」との言葉。仕込み日休みだよ。そんな大劇団じゃあるまいし。まあ、詩森や劇団員はとうぜん行くけど、熾烈な稽古で疲れ果てた俳優たちにはありがたい休みだ。比較的高年齢の座組みだからね。
■いよいよ劇場入り。

5月8日 

■日記が書けなかった一週間あまり、ただひたすらに稽古をしていた。
■上がったり下がったりしながらも稽古は続いていく。
■とにかく苛烈な稽古をしていた。どこまでもどこまでもどこまでも詰めた。通常の公演であればもう完成か、というところから始まった10日間の一日稽古で、さらに探りながら、どのシーンも幾重にも変わったと思う。
■あの呑み集団、風琴工房が呑みにさえいかなかった。吉祥寺の飲み屋街を抜けてくる駅至近の稽古場だというのに。そんなことに使う体力があったら稽古に使いたい。そして信頼関係は稽古場で作っていけばいい。そして作っていけたと思う。
■今回の作品はとある場所での8年の月日の物語だ。今日の通し稽古では、上演時間の2時間あまり、その年月を登場人物たちと共に過ごしたような錯覚に陥った。昨日の通し稽古はツルツルとした段取だけの芝居だった。この差はあまりに大きい。どうしてそうなったのかということを話す。
■さあ、ラスト一日。やるべきことをやろう。

5月2日 

■稽古場についたら、昨日激しくダメ出しの出たシーンの自主稽古が行われていた。児玉さんはほんとうに面倒見がいい。いつも音頭を取って自主練等をやってくれている。いや。児玉さんの音頭で練習してたかどうかは知らないけど。自主練に演出が加わりはじめ、稽古開始時間過ぎても稽古。朝っぱらから熱気に溢れる稽古場であった。
■そして稽古はどうにもならないかと思っていたとあるシーンから。
■相変わらずダメダメで、なんど返してもダメなので、「じゃあ自主練習の時間あげるのでなんとかしてください」と匙を投げ、わたしは衣裳を縫う。面倒見のよい児玉さんと後輩に優しい杉山さんがリードして懇切丁寧にシーンを立ち上げているのを横目で見ながら30分。あ、これはなんとかなるのかも、というタイミングで演出参入。シーンが通る。余談だが杉山さんは「そのセリフは誰に向って言っているのか」、「この時意識は誰に向っているのか」ということについて、非常に綿密で、実はここまでも、杉山さんが出ていないシーンの俳優の演技に「あれはどうなんでしょうか」と提案をいただいている。主に飲み屋で酔っ払っている時なんだけど、詩森は素面なのでしっかり演出の参考にさせてもらっているし、そこを改善すると見違えるほどよくなることが多い。オトナの対話劇で他の追随を許さないグリングの秘密を垣間見た思い。なんでも杉山さんはもともとは早稲田の劇研で、そういう意識ぜんぜんなしで芝居をやってきたので(劇研は基本的にはピン芸の世界)、青木さんの演出に触れ、30代過ぎてからそのことを叩き込まれたので、それだけに何よりそれを大切にしているのだ、と言っていた。ピン芸でもとうぜんイケル濃い存在感の杉山さんが対話の呼吸をガッチリつかんでいるのだから、これはもう「鬼に金棒」というものだろう。
■夜もまたシーン稽古。これも懸案のシーン。ここばかりは動きでなんとか、というシーンではないので、聞き手の呼吸の問題や、語り手の意識の問題等から丁寧に芝居を組みなおして行く。頑固に固まっていたものがスルスルッと通る。しかもリピートが効くようになった。あと出来上がってないなあ、というのは主演2人のラストシーンを残すのみ。そして今「出来ている」シーンもあと何段階か上げてから劇場に持って行きたい。
■最後に朝自主練習してくれていたシーン。「見せ方」について徹底的に演出。多少のタイムオーバーで粘る。最後に芝居が「決まったっ」というかんじとなる。
■もしこの芝居が成功するとしたら今日の稽古が要であったことだろう。ここまでやってきたことや言ってきたことが、身体に沁みこんで定着する瞬間を何度も見た。これも俳優がそのように稽古場をあたためておいてくれたオカゲかもしれない。朝一の空気ってほんとうに大事だ。
■呑みに行くことなど考えもせずに帰宅。呑みに行かなくとも俳優同士、そして演出と俳優の間にもしっかりとしたコミュニケーションが成立しているのを感じる。懇親しているヒマがあったら稽古がしたい。稽古すればするほど信頼が深まる。こんな稽古場もあるものだ。ま、明日は呑みにいっちゃうかもしれないけどね。それはそれでほら、楽しいからさ。
■帰りの電車で演助の辻さんから「詩森さん、ぜんぜん演出席にいませんでしたね。一日中、動きまわってた」と言われる。ミザンスやらカラダの向きやら細かなタイミングやら決めるのに忙しく動いていたようだ。そういう意味でも稽古は最終段階だな。明日も楽しみ。稽古がほんとうに楽しみなんだよ。

5月1日 

■明日お休み予定の増田くんを中心に稽古。夜は通し。
■どうもダメだな。演出替えしたところもシックリこないし、ていうか、下手だよ。うちの劇団員。なんとかせねば。